はじめに
『二代目社長の娘』が代表になる。
そう聞いたとき、どう思われるでしょうか。
「はいはい、社長のお嬢様が父親のスネかじって社長さんですか。良いご身分だこと。」
と思う人が99.9%だと、安易に推測されます。
そう思ってほしくないけど、そう思われるのは仕方のないことだと
腹をくくって末岡商店に入りました。
しかし、ハッキリ言えるのは、私は今まで
社会人としてちゃんと働いて税金を納めて
それなりに自立して生きてきた自負があります。
なので、私の考えていることはキチンと発信して
少しずつでも私の人となりをわかってもらえたらと思っています。
昔の話
私から見た二代目社長(父)は
家庭人としては見本にはならないような人でした。
昭和時代の父親あるあるだと思いますが
基本的に家にいない、子育ては母親に丸投げ。
そんな父でした。
珍しく家にいる時でも
常に自分の仕事や会社のことばかり話していました。
そして同時に
「末岡商店とは関わらずに生きていけ、自立しろ」
と、耳にタコが出来るほど、言われて続けてきました。
「いや、自分仕事の話ししかせんのに、関わるなってどーゆーことよ…」
と内心思ってたはずです
そんな中で育った私は10代の頃、反抗期がひどく
周りをとても不安にさせました。
今思うと、家庭をかえりみず仕事のことしか考えていない父と
ワンオペ育児&家事にストレスを抱えて毎日ヒステリーを起こす母に
「もっと私を見てほしい、かまってほしい」という訴えを
10代なりにしていたんだと思います。
今思うと、可愛いですね、当時の金髪の私。
そして、反抗期も落ち着き、無事に学生を終え
22歳で社会に出ます。
「え?社会ってこんなきびしいの?」という出来事が
見事にたくさん降りかかってきました。
過酷な労働状況に耐え切れず勤務中に倒れて入院したり
飼っていたネコの治療費と高い家賃が重なって生活費を借り入れしたり
(初めての一人暮らしでペットを飼う無謀さを痛感)
お互い好きだと思っていた人からお金をだまし取られたり
勤めていた会社から給料打ち止め通知を受けたり
その時に、初めて
父は祖父から会社を継いで、その会社の規模を大きくした。
それって本当にすごいことなんだ、と理解しました。
家庭人としては…だけど
社会人としては見本でしかない!
そう思いました。
幼い頃から父から言われ続けた「自立しろ」という言葉に素直に従い
20〜30代は、自ら見つけた仕事に打ち込んで
『自立』できるように、とにかく夢中で働きました。
デザインの仕事に憧れを抱いていた私は
学生を終えてデンソー系の手堅い会社に
カーナビのデザイナーとして入社しました。
しかし、そんな安定した会社に新卒で就職出来たにも関わらず
決まりきった作業しかさせてもらえない
(と、当時は思い込んでいた)
業務内容に嫌気がさし、周りの反対を押しのけ
1年も立たず退職。
名古屋を離れ、ずっと憧れていた東京に出ました。
そして、東京という場所、デザインという仕事という
『憧れ』に必死にしがみつきながら、仕事をしていました。
私の出来るようになった仕事で、父の会社に貢献できることはできないかと考え
15年ぐらい前は末岡商店の名刺のデザインをしたり
5年ぐらい前はスタートアップの会社に転職しブランディングの提案(営業)を
しにきたりもしてきましたが、形にならず、それっきりでした。
社会人として1番大切な『自立』をするということを伝え続けてくれた父と
どうにか一緒に仕事をする機会ができないかと試行錯誤しましたが
色々な事情で、20〜30代のうちは叶いませんでした。
今の話
40歳を目前にしたタイミングで
初めて父と一緒に仕事をするという機会をいただきました。
自分でいうのもなんですが、末岡商店にくる前に勤めていた会社では
お客様からも上司からも同僚からも部下からも、頼りにされていたと思います。
もちろん頼りにならないと思われるような失敗もたくさんしてきたし
私のことを嫌っていた人もいたことは知っています。
しかし、今まで培ったデザインの知識やキャリアを存分に発揮して
それなりのポジションと役割をいただき、バリバリ働いていました。
必要とされているポジションと役割を自ら降りて
末岡商店に来ることは、覚悟が必要なことでした。
父は私に声をかけてくれたけど、末岡商店のみんなや周りからは
『社長の娘』という色眼鏡があることは安易に想像つく。
業界として全く関わったことのない『自動車ガラス』の世界にいくことも不安でした。
しかし
20年近くのキャリアを捨てて末岡商店に入ることに、覚悟は必要でしたが
あまり悩みはしなかった
です。
『ここでおじけづいて、父からの提案を断り
今まで通りの仕事を続けたら、私は一生後悔することになる』
と、瞬間的に感じたからです。
「あぁ、人生の第二幕が始まるんだ、覚悟を決める時が来たんだな」と
自然と思える、そんな感覚でした。
そして
【祖父と父が作った土台を守りながら
時代に合った新しい風を吹かせる】
という覚悟を持って、末岡商店に来ました。
おわりに
人生はなんのためにあるのか。
私の持論はこうです。
人の役に立ち、人に喜んでもらい
そして自分自身は与えられた環境を目いっぱい楽しみ
持って生まれた魂を少しでもキレイなものにするため
この価値観は、今までの人生の経験はもちろんのこと
父から勧められた本の中からも大きく学びました。
ご存知の方もいる通り、父は無類の本好きです。
その影響からか、私も読書は幼い頃から日常的に行っており
今も人生観や倫理観のようなものはずっと興味があり
本や講話などを通じて、学び続けています。
20年近くの間、なんとか怠けることなく、真面目に働くことが出来て
おかげさまで様々なご縁をいただきました。
そんな中で、尊敬する経営者の方たちとたくさん巡り合うことが出来ました。
特に尊敬している
『株式会社ティアの創業者 冨安徳久 社長』
から、最近学んだ言葉です。
- 人生は『尽生(じんせい:尽くすために生きること)である』
- 仕事は『志事(しごと:志しをもって事を成すこと)である』
むっちゃくちゃ刺さったので
自分の言葉としてアウトプットさせていただきます。
仕事をしている時間って、人生の中で長いという人が多いと思います。
少なからず私は22歳から今までフルタイムで働いています。
フルタイムで働いている場合
1日のうちだいたい1/3は寝ていて
残り2/3のうち1/3は仕事をしている方が大半かと思います。
そんな人生の中で大半の時間を占めている仕事の時間を
①ただの作業の時間にするのか
②ただお金を稼ぐだけの時間にするのか
③志をもって取り組む時間にするのか
同じ仕事でも、この①~③を私たちは選択することが出来ます。
私は、③の『志をもって取り組む』時間にしたいと思っています。
過去の話の中で
新卒で入った手堅い会社を早々に辞めたと書きましたが
これはまさに私自身が、①の『ただの作業』にしていたのです。
そんな意識で仕事が続くわけがありません。
私は20代前半〜中盤くらいの期間
こてんぱんに自分の甘さを思い知らされる出来事がたくさん起こりました。
仕事もなくなり、東京でも暮らしていけないという底辺の状況まで落ちた時に
「世の中には〝本質〟のようなものがあるんだ」ということに気づきました。
それを気付かせてくれたのは
『7つの習慣』
という本でした。
これは、父がくれた本です。
この本を読んで180度見え方が変わってからは
「お金は後から付いてくる!」という言葉で
自分をずっと励まして仕事をしました。
人から頼まれたことは出来る限り断らず
「こうした方がもっと良くなるのに」と思ったことは
積極的に改善できるように取り組み
とにかく目の前のことを一生懸命にやる。
『お金は後からついてくる』と呪文のように唱え続けた結果
とにかくお金がなくて苦しいという状態だったのが、徐々に生活が好転して
30代ぐらいからお金の不自由を感じることが少なくなっていきました。
社会人のはじめのうちは生活が出来るレベルから始まり
私のことを認めてくれる人が、私の価値を自然と上げてくれました。
私は、人はお金のために働くと不幸になると思っています。
お金が先に来てしまう人は、ただただお金の奴隷になっているだけです。
奴隷には奴隷なりの出来事が降りかかってきます。
それって不幸な人生だと私は思います。
仕事とは?と考えた時に
志を持って、人の役に立つこと、人に喜んでもらえること
(=感謝されること)
を楽しみながら積極的に行なった結果
お金という報酬が生まれる活動
とすれば、不幸を遠ざけることが出来ます。
人生という短い時間、さらに限られた仕事という限られた時間ですが
人生の中ではたくさんの時間を占めています。
だからこそ
その時間を人に感謝され
自分自身も目いっぱい楽しむことの出来る時間にしないと
満足のいく人生にはできないと考えています。
少し鼻息荒めに、初回のブログは初心を忘れないよう
このような内容を書かせていただきました。
『二代目社長の娘』というマイナスからのスタートでも
信念をブラさず誠実に真剣に積極的に取り組んだら
必ず「成果」という形が見えてくると信じて
これからの人生第二幕を走り続ける所存です。
温かく見守っていただき、末永くお付き合いいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
※このブログはHP変更前(2025年10月)に、NOTEに書いたものを一部加筆修正したものです